小学校の時の記憶

2015年5月25日月曜日

昔の記憶 徒然・駄文


小学校は途中まで埼玉県八潮市の八條北小学校「旧・第七小学校」というところに居ました。その名前が変わる頃音楽の先生が歌詞を変更してメロディもアレンジしていたのを覚えています。また一番良く思い出すのは2階の上の画像の景色です。

音楽準備室は音楽の時間一人一台任された楽器を持って音楽室へ向かいます。当時私はトランペットを任されそうになっていたのですが諸事情で吹けなく大太鼓に回されました。音楽室でのポジションは一番後ろで大きさの違う太鼓パートが私を入れて4人居ました。太鼓組は廊下に机を出して、机の上に雑巾を敷いてバチで叩いてもうるさくないようにして練習してました。吹奏楽部に入っていたクラスメイトが教えてくれて4分音符から初めて32分音符までリズムよく叩く練習をしてました。

図書室は5年生の時所属していた「オセロ将棋クラブ」の活動場所でした。一月ほど休んだことがあったのですがその時は活動のトーナメント表に私の名前も書いておいてくれたのを覚えています。あと図書室のちょうど真正面には水道があったかと思います。

給食は外部へ委託だったようで1階には給食を運び込む施設があり2階より上には画像の場所にあったエレベーターで運ぶ方式でした。確かその階の窓ガラスに変な穴が開いてあったのですが、今思えばあれはエアガンで外から開けられた穴だったのだなとわかります。今は直ってるかどうかは分かりませんがこの穴は印象深いです。また、その窓から下を見ると給食を運び込む場所とトラックが見えていました。左の方には体育館が見えます。


園芸委員でもあったのですが、ある日青いポリタンクで肥料を運んでたのですが中身が人糞らしくフタを閉じててもかなりの匂いで、玄関から花壇まで運んだまではいいですがフタを開けた途端耐えられなくなって数十mぐらいダッシュして「オエー」とかやってました。

よく遊んだのが回旋塔でぐるぐる回って面白かったです、隣にはのぼり棒があります。

5年生の担任の先生は手書きの学級新聞を放課後職員室の前のコピー機で印刷してくれました。生乾きのインクを手に押し付けて遊ぶというのがなぜか流行っておりました。あと近くに洗濯機もあったような・・・

あと小高い山では粘土質の土、通称「つちねん」が採掘でき当時の私達にとっては面白い遊び道具でした。つちねんを球状にして水で濡らしたりして乾燥させて硬くなったらすごい、という雰囲気でした。固めて球状にしたつちねんは柵を超えた所にある用水路のコンクリートの横断している棒の所に保管していました。柵は乗り越えないで穴が開いてたかもしれません。