ちゃんと生きてるかと思ったら気持ちが死んでた件

2015年11月10日火曜日

感じた事・考えたこと 徒然・駄文

2ヶ月に一度の通院日でした。
先生もだいぶ見た目がお年を召して来てました、患者として通って12年経つんですものね・・・

今までは就活の合間に気晴らしに遊んでいたつもりが心の底から「面白い!」と思ってやってたことはなかったように思います。
いつでも「たまにはこのぐらいは遊んでも良いか・・・」という遊びに消極的な感じです。
13年前、15年前に戻れるなら自分をぶん殴って「間質性膀胱炎だろうと、無職だろうと死ぬ気で遊べ」と叫びたいです。

帰りに秋葉原によってきましたが、この秋葉原一つとってもこの15年でだいぶ変わりました。
駅前の実演販売、バスケ・スケボーコート、アソビットシティ→ドンキホーテ、石丸電気消滅、メイドカフェ乱立、喫茶店古炉奈閉店、駅ビル工事、通り魔事件etc...

就活が上手くいかない原因は仕事を見つけるために就活をしてるからだったんだなと。
就活の合間に遊び、ではなく、遊びの合間に就活をすれば良かったのかと。
あの、間質性膀胱炎にかかった冬の時期から「体調がこんなんだし、無理」と色々と諦めてきてしまったんでしょうね。
センター試験も大体6割取れてたのに物理の時だけ尿意を我慢しつつだったので3割ぐらいしか取れず、もちろん受からなかったのでその辺から人生を諦める気持ちが芽生えてしまったのかなと。

一家三人誰のせいでこんなになったかと考えると三人とも「遊び心」を無くしてしまったせいだなと。
私が高校を卒業し、父がリストラされ三人とも何をしたら良いのか分からなくなってしまった辺りで遊び心という人生にとても大事な気持ちが飛んでいってしまったのかなと思います。
あの時私含む誰か一人でも「パーッと遊びに行こう!」とか言ってたら変わったのかもしれませんが、数年後私が母に言ったように「そんなこと出来るわけ無いでしょ!」で終わってたかもしれません。

それまで怒ったことがない父ちゃんも、ある日私と二人で家にいた時コンロの火が点いてたので「火がついてるけどなにか使うの?」と言った私、バカにされたと思った父ちゃんは今までに無い口調で怒りました。
ちゃんと説明したら分かってくれましたが、気持ちに余裕が無いと温厚な人でも怒りっぽくなってしまうんだな、メンタルって怖いな、と思います。

お金と体調が許すなら、今ならなんでも楽しめる気分です。
いくつかやりたいことを挙げると、大学行って勉強・スポーツ・囲碁大会出場・旅行・農作業・身体動かすボランティア・ドライブ・多くの人と会話etc...
もちろん費用は持ちますのであまり高くない範囲で我を忘れるぐらい遊べる話を持ってきて頂けたらと思います。
出来れば人数は多いほうが楽しいのかもしれません。

とりあえずしばらくは地元のイベントで面白そうなものに参加したり、ワークショップを楽しんだりしたいと思います。