遠くの親戚より近くの他人

2015年11月7日土曜日

ボランティア 感じた事・考えたこと 徒然・駄文

ボランティアの打ち合わせに行ってきました。
何かのイベントの手伝いをするというのは初めてではないかと思います。

高校の時はどうも人と一緒になって何かをするというのの苦手意識があって、クラスの出し物には全く参加せず部活の出し物があると言って逃げてしまっていました。
当時の私に会えるなら「もったいない、人とは出来るだけ関わっておけ」と言いたいです。
ひらつか囲碁まつりの事がだいぶ前のことに感じられますがまだ1ヶ月経ってないんですね。
今までのイベント密度だとすると2,3年前ぐらいの感覚です。
今考えると毎日楽しい学生時代は毎日がイベントだらけだったんですねぇ。

ボランティアの打ち合わせ後、70歳ぐらいの男性の方に声をかけて頂きました。
その人も就活に苦労したらしく「今は色々ボランティアに行っていて今生きてるのは楽しい」、というような事を仰っていました。
「就活のための就活をやっちゃったんだね」という言葉がすごく響きました。
目標は仕事につくことと設定してしまいそれ以外の無駄なことは極力やらないよう来てしまったのがいけませんでした。
目標に向かってひたすら走って成功するならそれで良いんでしょうけど、私の場合はむしろ寄り道や無駄なことをして見聞を広める努力をしないといけなかったのだと思います。
上述の男性の方はこちらの話をとても理解していただいて最後に握手もしていただいて、こういう温かいコミュニケーションを受けるのはいつぶりだろうかと感じ嬉しくなりました。

普段から家族とスキンシップを取ってる人なら握手ぐらいどうということはないんでしょうけど、私の場合どういうわけかあまり触られることが苦手なためちょっと小突かれるのにも嫌悪してしまいます。
出来れば治したいんですけども一体どうすればいいやら。
今入院中の父ちゃんとなら出来るんですけど、お互いそんなことしても良いのか悪いのか気にしすぎてるんでしょうね。

いつから他人の目を気にするようになってしまったのか。
高校ぐらいの時まではKY人間でしたのでその辺から自分の発言に注意し始めたんでしょうね。
今では他人の目を気にしすぎてあらゆる所に注意が向いている(気がする)謎の超感覚でも手に入れた感じです、まあ気のせいなんでしょうけども。

表題の件ですが、遠い近いは物理的距離だけの話かと思っていましたが心の事でもあったんだなと気づきました。
家庭内で困っている事は実はその辺の一見自分とは関わり合いにならなそうな人に話をすると解決するなんてことが山程あるのかなと思います。
「今まで自分がやってきた事以外のことをする」というのはかなりの覚悟と勇気が必要ですし、それプラス「きっかけ」が全体的に見れば僅かながら最大の要因となるのでそれをいかに物にできるかが重要なんだなと思います。

だいぶ距離を取り過ぎてしまったので徐々に近づけるようにしたいと思います。