1週間ぶりのワークショップでした。
また、今日はクリスマスイブということで、ボードゲームの回でした。
二組に分かれてやったのですが、私達の方は4人で「カタン」をやりました。
どう考えたら良いかまだ分かっていませんがこういう思考がメインのは面白いです。
------------------------------------------------------------
こういう楽しい”はず”の時間も、どうも長居し過ぎると変な感覚に襲われます。
「ある空間」から、「全然雰囲気が違う別の空間」へ移動する時もだいぶ変です。
一番きついのは、他人と時間を共有してもらっている時、自分だけ離席しなければならない時です。
まあ、原因のほぼ99%はトイレなのですが。
と、書きましたが自分だけの時間でも先日サポステから電話がかかってきた時は慌てましたね。
何故自分だけ離席するというのがそんなにも不安を感じるのか?
一つ考えられるのは、決められた時間はその場に居続けなければいけないという認識。
もう一つは、自分の物理的な所有物(かばんや文房具など)を置いてきてしまっているから、ではないかと。
一つ目は、自分だけ離席してしまって、相手を待たせてしまい迷惑をかけているので心苦しい。
特に、ゲーム中など進行の妨げになる時だとすごくきついです。
逆に、休憩時間などなら離れるタイミングを掴むのにちょっと不安を感じますがなんとか大丈夫です。
今日のようなワークショップ・講演会・話し合い・面接、など相手と自分が同じ時間を共有してる場合、自分のトイレのために離席するという行為を実行に移すまで相当な葛藤があります。
やはり相手からの「一言」だ重要なんだなと感じます。
友人との飲みなら大丈夫、と言おうかと思ったのですが、私以外に二人以上いた場合は落ち着きません。
理由ははっきりしませんが、昔、友人が遊びに来た時私がトイレに立った時(まだ間質性膀胱炎ではない)帰ってきたらいたずらされてたりしたからですかねぇ・・・
内容は大したことはないんですが、ゲームソフトの中身を入れ替えてたり、コントローラーを半刺しにしたり、帰り際に見えにくい所にこっそりゲームソフト隠したり、とかです。
今思えば大したことはないのですが、当時はけっこう腹を立ててたのか「おい!おい!」とツッコミを入れてました。
よく考えるとこれは2つ目の理由の方の原因ですかね。
あと、自分以外に複数人いると話が進んでしまい途中から入りづらいというのもあるかと思います。
この辺は最近言われている「SNS疲れ」とよく似た感じなのかなと思います。
二つ目の理由は、あまり定かではないのですが、「席を離れる時は身の回りのものを置いていってはいけない」と教えられたことかと思います。
きっと、父か母か分かりませんが(多分母かと)、物を盗られたらいけないから、ちゃんと持ってなさい、ということだったのではないかと。
また、目と目を見て話すということも、家だとほぼ無く、どちらかが背中を向けて話すのが通常です。
なので、家の外で目と目を見て話すのに違和感を感じる原因ではないかと。
大体、1時間ぐらいだとギリギリなんとも感じずに終わり、1時間半~2時間ぐらいするとだいぶ居心地が悪くなってくる感じです。
友人と飲みに行った時、ちょっといつもより長いをした時の気持ちはこれだったのかなと。
また、同じ時間を共有した仲間と別れる時もけっこう不安です。
「また、寂しく孤独な時間が来てしまう」という心持ちです。
この時間の共有で感じる不安感も、相手との親密度などでも変わってくるんじゃないかと思います。
だいたいグラフにするとこんな感じではなかろうかと思います。
不安感しか描いてませんが、実際は他に、安心感、居心地の良さ感、など入ってきてもっと複雑だと思います。
あまり知らない人、例えば、初対面の人や、就活時の面接、近くにいるけどあまり関わり合いにならなさそうな人などは「青」の曲線です。
ある程度見知った人、例えば、家族、近所の人、今ならサポステのスタッフや仲間、などが「赤」の曲線です。
ここでいう「時間」は「その日会ってから帰るまで」で、一人になったらとりあえず一旦は不安度はほぼ0になります。
見知った仲だと、出会った直後はすんなり入れますが、「どうやって話題を振ったら良いんだろう?」と妙な居心地の悪さを感じます。
あまり知らない人なら、自分が受け入れてもらえるんだろうかという不安から初めは多めで、段々と下がっていき、帰る頃には意外に清々しい気持ちかと思います。
これは、先日あった国際交流フェスのボランティアがそんな感じかもしれません。
また、よく知らない仲なら特に話が盛り上がらなくても問題はないですからね。
一人の時間は、0を指してますけど、「赤」と「青」から移行する瞬間はそれぞれの流れを引き継いでる感じかと思います。
「赤」なら別れた瞬間増大、「青」ならほぼ0のようなものなのであまり違和感を感じずに移行できる感じです。
一人の時間は、若干真ん中で盛り上がってますが、だんだん「いつものことじゃないか」と感じて落ち着くのではないかと。
まあ、いつものこと=普通のこと、ではないんで変な気分に感じるほうが普通なのかもしれませんがね。
------------------------------------------------------------
自分だけの時間も不安感は減りますが、安心感もさほど上がりません。
これはつまり、周りを歩いている人々は自分とは関係がない、気を使う必要が無い、だから不安感は減ってる。
でも、そこに自分がいて良いのか良く分からないので、安心もしないというわけなんじゃないかと。
最近、自分がやりたいことをやろうと決めてから、すごく時間が有り余ってる状態です。
なので、自由時間がすごく不安で、どこかにでかけた時も待ち時間がすごく不安です。
今まで、どれだけ自分を押さえつけてきたのだろうと、びっくりしました。
母も、家で料理をやる時間がかなりありますが、本当にそれはやりたいことなのでしょうか?
私みたいに「就活を成功させねばならない」と思い込んでるように、「家族に料理を作らねばならない」という強迫観念にでも取り憑かれてるんじゃないかと感じます。
一度、家にいないで外に飛び出して見るといかに自分がおかしい生活をしてるかが良く分かるのでは無いでしょうか?
1ヶ月ぐらい続けてみて、「別に何もおかしくはなかった」と感じればまあそれはそれで仕方ないですが、ちょっとでも変な感じがしたら、それはアカンのではないかと。
就活でも、料理でも、なんでもそうですけど、やれば良いってもんじゃないんですよね。
母は「衣食住で、食が一番」「私(母)は料理しか出来ないから。料理さえ作れば(家は)なんとかなる」ってよく言ってます。
しかし、母が重視しているのは「料理」であって、「食事」ではないような気がします。
いかに料理が素晴らしかろうと、一人ぼっちで食べるのは寂しいです。
多分こう書くと「同じ家にいるんだから一人じゃないでしょ!」とか言われそうですが、心が食卓に座ってないんですよね。
逆に料理がどんだけ質素でみすぼらしくても、一緒にいて楽しい人物ならそれは最高の「食事」になれるんじゃないかと。
あんまり最近、楽しい「食事」をしていないので確認は取れませんがね・・・
(追記)
あんまり良く分からない図ですが、外出用の肉体と在宅用の精神、この二つを使い外でコミュニケーションを取ろうとすると、あんまりやったことがないので混乱が生じるんじゃないですかね。
自由時間が増えると平常心を保つのが難しい場合があり、その時はあまり気持ちがリラックスはしてないかと思います。
引きこもりなのに普通に外出は出来てしまう人はやはり発見が色々遅れるんじゃないかと思います。
自覚症状がないほど恐ろしい物はありません。
また、今日はクリスマスイブということで、ボードゲームの回でした。
二組に分かれてやったのですが、私達の方は4人で「カタン」をやりました。
どう考えたら良いかまだ分かっていませんがこういう思考がメインのは面白いです。
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こういう楽しい”はず”の時間も、どうも長居し過ぎると変な感覚に襲われます。
「ある空間」から、「全然雰囲気が違う別の空間」へ移動する時もだいぶ変です。
一番きついのは、他人と時間を共有してもらっている時、自分だけ離席しなければならない時です。
まあ、原因のほぼ99%はトイレなのですが。
と、書きましたが自分だけの時間でも先日サポステから電話がかかってきた時は慌てましたね。
何故自分だけ離席するというのがそんなにも不安を感じるのか?
一つ考えられるのは、決められた時間はその場に居続けなければいけないという認識。
もう一つは、自分の物理的な所有物(かばんや文房具など)を置いてきてしまっているから、ではないかと。
一つ目は、自分だけ離席してしまって、相手を待たせてしまい迷惑をかけているので心苦しい。
特に、ゲーム中など進行の妨げになる時だとすごくきついです。
逆に、休憩時間などなら離れるタイミングを掴むのにちょっと不安を感じますがなんとか大丈夫です。
今日のようなワークショップ・講演会・話し合い・面接、など相手と自分が同じ時間を共有してる場合、自分のトイレのために離席するという行為を実行に移すまで相当な葛藤があります。
やはり相手からの「一言」だ重要なんだなと感じます。
友人との飲みなら大丈夫、と言おうかと思ったのですが、私以外に二人以上いた場合は落ち着きません。
理由ははっきりしませんが、昔、友人が遊びに来た時私がトイレに立った時(まだ間質性膀胱炎ではない)帰ってきたらいたずらされてたりしたからですかねぇ・・・
内容は大したことはないんですが、ゲームソフトの中身を入れ替えてたり、コントローラーを半刺しにしたり、帰り際に見えにくい所にこっそりゲームソフト隠したり、とかです。
今思えば大したことはないのですが、当時はけっこう腹を立ててたのか「おい!おい!」とツッコミを入れてました。
よく考えるとこれは2つ目の理由の方の原因ですかね。
あと、自分以外に複数人いると話が進んでしまい途中から入りづらいというのもあるかと思います。
この辺は最近言われている「SNS疲れ」とよく似た感じなのかなと思います。
二つ目の理由は、あまり定かではないのですが、「席を離れる時は身の回りのものを置いていってはいけない」と教えられたことかと思います。
きっと、父か母か分かりませんが(多分母かと)、物を盗られたらいけないから、ちゃんと持ってなさい、ということだったのではないかと。
また、目と目を見て話すということも、家だとほぼ無く、どちらかが背中を向けて話すのが通常です。
なので、家の外で目と目を見て話すのに違和感を感じる原因ではないかと。
大体、1時間ぐらいだとギリギリなんとも感じずに終わり、1時間半~2時間ぐらいするとだいぶ居心地が悪くなってくる感じです。
友人と飲みに行った時、ちょっといつもより長いをした時の気持ちはこれだったのかなと。
また、同じ時間を共有した仲間と別れる時もけっこう不安です。
「また、寂しく孤独な時間が来てしまう」という心持ちです。
この時間の共有で感じる不安感も、相手との親密度などでも変わってくるんじゃないかと思います。
だいたいグラフにするとこんな感じではなかろうかと思います。
不安感しか描いてませんが、実際は他に、安心感、居心地の良さ感、など入ってきてもっと複雑だと思います。
あまり知らない人、例えば、初対面の人や、就活時の面接、近くにいるけどあまり関わり合いにならなさそうな人などは「青」の曲線です。
ある程度見知った人、例えば、家族、近所の人、今ならサポステのスタッフや仲間、などが「赤」の曲線です。
ここでいう「時間」は「その日会ってから帰るまで」で、一人になったらとりあえず一旦は不安度はほぼ0になります。
見知った仲だと、出会った直後はすんなり入れますが、「どうやって話題を振ったら良いんだろう?」と妙な居心地の悪さを感じます。
あまり知らない人なら、自分が受け入れてもらえるんだろうかという不安から初めは多めで、段々と下がっていき、帰る頃には意外に清々しい気持ちかと思います。
これは、先日あった国際交流フェスのボランティアがそんな感じかもしれません。
また、よく知らない仲なら特に話が盛り上がらなくても問題はないですからね。
一人の時間は、0を指してますけど、「赤」と「青」から移行する瞬間はそれぞれの流れを引き継いでる感じかと思います。
「赤」なら別れた瞬間増大、「青」ならほぼ0のようなものなのであまり違和感を感じずに移行できる感じです。
一人の時間は、若干真ん中で盛り上がってますが、だんだん「いつものことじゃないか」と感じて落ち着くのではないかと。
まあ、いつものこと=普通のこと、ではないんで変な気分に感じるほうが普通なのかもしれませんがね。
------------------------------------------------------------
自分だけの時間も不安感は減りますが、安心感もさほど上がりません。
これはつまり、周りを歩いている人々は自分とは関係がない、気を使う必要が無い、だから不安感は減ってる。
でも、そこに自分がいて良いのか良く分からないので、安心もしないというわけなんじゃないかと。
最近、自分がやりたいことをやろうと決めてから、すごく時間が有り余ってる状態です。
なので、自由時間がすごく不安で、どこかにでかけた時も待ち時間がすごく不安です。
今まで、どれだけ自分を押さえつけてきたのだろうと、びっくりしました。
母も、家で料理をやる時間がかなりありますが、本当にそれはやりたいことなのでしょうか?
私みたいに「就活を成功させねばならない」と思い込んでるように、「家族に料理を作らねばならない」という強迫観念にでも取り憑かれてるんじゃないかと感じます。
一度、家にいないで外に飛び出して見るといかに自分がおかしい生活をしてるかが良く分かるのでは無いでしょうか?
1ヶ月ぐらい続けてみて、「別に何もおかしくはなかった」と感じればまあそれはそれで仕方ないですが、ちょっとでも変な感じがしたら、それはアカンのではないかと。
就活でも、料理でも、なんでもそうですけど、やれば良いってもんじゃないんですよね。
母は「衣食住で、食が一番」「私(母)は料理しか出来ないから。料理さえ作れば(家は)なんとかなる」ってよく言ってます。
しかし、母が重視しているのは「料理」であって、「食事」ではないような気がします。
いかに料理が素晴らしかろうと、一人ぼっちで食べるのは寂しいです。
多分こう書くと「同じ家にいるんだから一人じゃないでしょ!」とか言われそうですが、心が食卓に座ってないんですよね。
逆に料理がどんだけ質素でみすぼらしくても、一緒にいて楽しい人物ならそれは最高の「食事」になれるんじゃないかと。
あんまり最近、楽しい「食事」をしていないので確認は取れませんがね・・・
(追記)
あんまり良く分からない図ですが、外出用の肉体と在宅用の精神、この二つを使い外でコミュニケーションを取ろうとすると、あんまりやったことがないので混乱が生じるんじゃないですかね。
自由時間が増えると平常心を保つのが難しい場合があり、その時はあまり気持ちがリラックスはしてないかと思います。
引きこもりなのに普通に外出は出来てしまう人はやはり発見が色々遅れるんじゃないかと思います。
自覚症状がないほど恐ろしい物はありません。