自分で選択する事の、苦しさと楽しさ

2016年1月16日土曜日

感じた事・考えたこと 徒然・駄文

今日は、浅草に行くとか、前日に予定を立てていましたが、朝全然起きられなくて、起床時間20分オーバー。
午前中は何もやる気が出なく、10分散歩もできず、1時間昼寝などで時間が過ぎて行きました。

昼は、昨日買ってきた雪平鍋で雑炊の素を使った雑炊、ボイルウィンナー等を食べました。
軽すぎるので水など入れないと使いづらいのが難点ですが、とりあえず使うことは出来ました。
今度は、四角い卵焼き用フライパンを探してみようと思います。

で、午後は、回数券が余ってしまった件もあったので、突如松原団地駅へ。
この駅は子供の頃利用していたお最寄り駅なので思い入れもある他、図書館もあるのでちょっと行ってみました。
予定外の予定を突然入れるというのは今まで生きてきた中であんまりなく、恐らく10本の指で数えられるうちではないかと。
今まで、出かけると言うと、家族に連れられていくか、友人に誘われるか、自分で事前に予定を立てておくか、予定が入ってない場合はその辺の図書館やスーパーなど決まった所にしか行っていませんでした。
で、いつもと違う駅で降りるだけでもう新鮮な気分で、普通の人が海外旅行とか行って新鮮な気分を味わう感覚はこういう感じなのかな、という感覚です。

図書館で本を読んでると、自分がいかに狭い所で悩んでいるか良く分かります。
自分が普段行かない所にも、普通に人がいて各々好きなように暮らしているのだなと感じます。
帰りにちょっと気になったお店のお菓子を買い帰路へ。
たった数時間でしたが、国内旅行にでも行ってる気分でした。
ちなみに、電車賃は500円分です。

今まで自分が選択してきたのは、山田先生が国立相模原病院にいた時に調べて行った事と、昨年5月の家出未遂の時に宇都宮に行ったことぐらいです。
どっちも楽しくて行った訳ではないので、恐らく自分で選択するということに楽しさは感じていなかったのかもしれません。

学生時代は直行直帰タイプでしたので、買い食いとかした記憶がありませんし、校内においてあった自販機でもよほど我慢できない暑さの時に何回か買ったぐらいで、あまり余計な出費はしてきませんでした。
当時は、それが正しい行動なんだと思っていたかと思います。
しかし、心を豊かにして将来に役立てるなら、模範生みたいなのではなく、ちょっとぐらい素行が悪い方が良いのかもしれません。
ニュースでも、
「そういうことをする人には見えなかった」
という意見はあれど
「いつか、そういうことやらかすと思ってたんですよ」
という意見はあまり聞かないですよね。
まあ、実際はいるけどただ報道されてないだけかもしれませんが。

高校受験の時も、自分で決めた所があった気もしますが、友人の母親伝いに話を聞いたうちの母が「ここが良いんじゃない?」と言って結局そこに決めちゃった気もします。
自分のアホさ加減に呆れますが、子供の頃から自分の意志が無いと将来すごく困るのだなと実感しております。

こうやってパソコンで文字を打つ能力とか、情報収集能力があってもあんまり実生活に役立つわけではないですね。
前も書いた気もしますが、昔の自分に会えたら
「とりあえず、パソコンとかゲームやってないで外で遊んでこい」
と言いたいです。
金銭面とメンタル面で身動き取れなくなると手遅れですからね。
私の場合、「変に外に出れたのがいけなかったのかな」と考えてしまう時もありましたが、自由に選択する意思を持つだけで何とかなる話だったのかもしれません。
あと伸ばしていく必要があるのは、人とのコミュニケーションかなと思います。