リアルとメディアの整合性、とか

2016年2月6日土曜日

囲碁 感じた事・考えたこと

今日はプロ棋士ペア碁イベントがあったので、行ってきました。
目覚めから寝床から這い出るまでが長かったので、開会式には間に合いませんでした。
抽選会とかもあるので、最後までいようと考えていたのですが、午後

普通なら、自分の趣味のイベントなら心から楽しめるのかと思いますが、どうも心ここにあらずな状態なんですよね。
いつもはテレビなどでしか見ることのないプロ棋士が、今この瞬間・この角度で見てるのは自分だけ、というのは特別な思いのはずですけど、なんか一歩引いて見ちゃうんですよね。

「趣味なのに楽しめないのはおかしい!」と考えましたが、これは就活の時と一緒で、「楽しいからやってる」のではなく、「出来るからやってる」のではないかと。
そう考えると、マンガ・アニメ・ゲームも他にやることがないからやってるような気もします。
むしろ、先日もらってきた「確定申告の手引き」を読んでる方が面白さは上の気もします。

じゃあなんだったら面白いのか?と考えてもすぐに答えは出ません。
恐らく、受け身の物はもう遊びつくした感があるので、自分が少なからず影響を与える趣味じゃないと駄目なのかもしれません。
例えば、話し合いとかは先が予想できないので面白いのかもしれません。

ただ、ちょっと毛色が違う「会話」になると、お互いよく知ってる同士なら話はスムーズかもしれませんが、全く知らない同士や片方だけがよく知ってるだとあまり上手く話せる自信がないです。
今日もプロ棋士などに声をかけてみたい気持ちはありましたが、全くネタが思いつかず結局コンタクトは取らず。

簡単に言うと、「会議でほとんど座ってるだけで重要そうな話の時だけ口を出す奴」、に近そうな気がします。

帰りは秋葉原を通るルートで帰りまして、ヨドバシ寄ってきました。
色々家電を見て回りましたが、「もしこれがうちにあったとして、自分の心は満たされるだろうか?」と考えると、全然そんなことはないなと。
多分、今の状態じゃ物では満たされない気がします。

仕事が見つかれば心が満たされるんですかねぇ・・・



ちょっと調べると、双極性障害(躁うつ)にも当てはまってる気がして、ちょっと心配です。
リンパ管腫・間質性膀胱炎という、「そうそう一度にはかからないでしょ」、という疾病に加えて、さらにまだ来るか?、とも考えたくもなりますが、どうしたら良いやら。

皆さんが趣味を楽しんでる時の気分を、文字とか話で聞いてみたいものです。

あと、ちょっと前に「積極的平和主義」って言葉流行りましたけど、「消極的他殺願望」がちょっとあるような気がします。
またこんなこと書くと後々怒られるんでしょうけど、積極的に死にたかないけど、もし何らかの原因で命を落としたとしても、未練がないような気もします。
まだまだ楽しいことはいっぱいあるんでしょうけど、「じゃあ何が楽しいの?」ってなると、分からないんですよね。

(追記)
リアルとメディア、リアルはこんな無味乾燥なのに、メディアはなんであんなに華やかに感じるのか。
理由は色々あるかと思いますが、やっぱり「視聴者」に「魅せる」ための作りをしてるからですよね。
音・字幕・編集、リアルにはない多彩な効果を使って面白く見せてるからなのかなと。

知識としてはメディアとリアルはつながってると分かるのに、感覚が分かってないんでしょうね。
一歩外に出れば、自分に対して「魅せて」くれる人はわざわざやって来ませんので、自分から行く事でしかありえません。
でも、そうやって話をしたとしても、もちろん演出がないから、感覚が「おかしい!」と感じてるんじゃないかと思いました。