自分が見えていないところの認識

2017年10月22日日曜日

テレビ・映画 感じた事・考えたこと

ウワサの保護者会 "もったいない" が通じない!

録画していたのを見ました。

一番気になったのは、食事を残すのをもったいないと思ってもらいたい親が余った食事を食べてもらっているシーン。
それはアカンですよと思いました。

自分が処理しなかったことが知らないうちに処理されていたらそれで良いのだと思いこんでしまうと思います。
食事だったら、余ったものは次のご飯に回すとかしないと、
”残っているものは何もしなければそのまま”
という認識が生まれないと思います。

話はずれますが、私は昔とある小型の財布をもらいました。
その財布は魔法の財布で「いつの間にか10円増えるよ」という感じで教わりました。
小学生の頃だったと思いますが、数日から1ヶ月は見てたのではないかと思います。
毎日確認して「今日は増えてない」「今日は増えてる!」と一喜一憂していました。

当たり前ですが何もしないで増えているはずはなく、誰かが入れていたのでしょう。
私にはその認識はなかったので「勝手に増えてる!すごい!」と思ってたかと思います。

自分の手元から離れた作業の認識というのはなかなか難しいですが、最近、街中でマンションの電灯を雑巾できれいに掃除している人・階段を掃除している人・ペットボトルを回収しに来ている人・店の看板や店先掃除をしている人を見ると、「使う側としては何気なく使っているけど、こういった地道な努力がその場所を清潔に保っているんだなぁ・・・」と改めて感じます。

自分が発生させたゴミは自分で何とかするということを身に着けないと、「とりあえずその辺に捨てておけば誰かが何とかするよ」という認識の人が増えてしまうんじゃないかと思います。
以前見た、タバコの空き箱を後方に放り投げている人を見た衝撃は忘れられません。