人生とは仲間にしたい人を乗り継いでいくもの

2017年11月5日日曜日

ゲーム・アニメ・マンガ 感じた事・考えたこと 遊び・街歩き

今日はボードゲーム会でした。
1年3ヶ月かけてプレイしていたパンデミックレガシー・シーズン1も終りを迎えました。
同じゲームでもルールが絶えず更新されていくと新鮮な気持ちでプレイできますね。

明日からは面接練習・面接本番・見学・ハロワと結構予定が詰まっております。
脚も痛いながらここまでの調子に持ってきてくれたことは関わっていただいた皆さんに感謝です。

ゲーム会では、脚が痛かったためもありますが足を伸ばしてくつろげるメンタルが構築されていました。
遊びと就労移行支援だけでかなり心も身体も成長させて頂きました。

誰にでもはじめは「この人すごくいい人だ」と思っても自分の成長を感じられなくなる瞬間は来ることが多いと思います、友達でも親でも。
その時は新たな新天地を目指せれば良いのですが私みたいな豆腐メンタルだとちょっと難しかったですね。
今日まででだいぶ成長させてもらったので、福祉のつながりが途切れたとしてもある程度は大丈夫ではないかと思います。
お昼にラーメン屋に行きまして、麺の量の説明があったのですが分かりにくかったので店員に聞くのもスムーズに聞けました。
見知らぬ人に気軽に質問できるようになっている自分を発見するとすごく成長した気分になりますね。

帰宅して私一人でしたが、最近食事の準備をする機会が増えていたため頭では覚えていなくても身体がスムーズに動きました。
何だか分からなくても続けるのは大事だなと思います。
出来る人から見れば大したことがなくても、全く初めての人には相当大変だし覚えるまでには人によっては数ヶ月とか数年かかるので助けを求められない限り手を出してはいけないなと感じます。
直接の手出しでなく声だけでもアカンです。

人は
相手の意見を聞きすぎても死ぬ
自分の意見だけを信じすぎても死ぬ

と思います。

この2~3年で自分がしゃべる量と相手がしゃべる量、無言のやり過ごし方などが学習できてきました。

明日からも今まで通り就労移行支援の筋トレ頑張ります。
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ひらがなも書けない若者たち ~見過ごされてきた“学びの貧困”~ - NHK クローズアップ現代+

録画していたのを見ました。

家庭に何かしらの問題があると、成長に必要な何かが欠けてしまうのかなと感じます。

ただ”支援”と言っても

”学力がないから勉強をさせよう”
”仕事が無いなら仕事探しを手伝おう”
”保育所に入れないなら保育所を増やそう”
”体力がないなら運動させよう”

と言った感じで、直接解決しようとしているようにみえるんですよね。
こんなんだったら素人でも思いつく解決法です。
そこに至るまでどういう経路を辿ったかが重要なわけであって、見た目上出来るようになったからと言ってじゃあ別の場所でも出来る・上手くいくとは限らないですよね。

あと、上の方で書いたこととも関連しますが、過剰支援もダメだし全く支援しないのもダメかと思います。
支援というのはその人が一人で成長していく手助けをすることであって、全部教え込むことではないなと。
2日しかいなかった個別指導塾の理念が思い出されます。

家庭だけ上手く行っててもダメ・学校だけ上手く行っててもダメ・仕事だけ上手く行っててもダメ、という考えでないとどこかで立ち行かなくなると思いました。