買い物で輸送の大変さを知る & "知らない"ことの怖さ

2018年2月4日日曜日

ショッピング、フリマ、祭り 感じた事・考えたこと

筋肉がある程度ついてくると、重い物の買い物もきつくても頑張れるようになりますね。

今日は、硬い椅子が欲しかったのでパイプ椅子と踏み台を15分離れたニトリから徒歩で持ち帰ってきました。
牛乳4本持って帰るのとまた違い、かなり腕に来ましたがなんとか持って帰れました。

こうやって買い物を何回もやっていると輸送がどれだけ大変か分かります。
行きの道で小学生が重い袋を持って歩いていましたが、筋力と持久力はおそらくあの小学生にも負けているのではないかと感じます。
なんの意味があるか分からないことも繰り返しやれば何かが見えるのかもしれません。

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買い物でも、例えば
「じゃがいもと人参とお肉買ってきて」
と言われれば普通の人は
「カレーかシチューか煮込み料理かな?」
と想像できるかと思います。
しかし、ここに料理とレシピと言う概念がないと買って終わってしまいます。
また、それら材料と包丁まな板などが目の前にあったとします。
それも、料理の知識がある人が見れば意味のある物に見えますが、全く料理の知識がないと何をどうすれば良いのか分からず、せいぜい野菜を並べて包丁を投げて的あてゲームぐらいが関の山かと。

世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるはずですが、

”知らない”

と言うだけで自分の知識にない何処かでは楽しいことも苦しいことも進行しているということを忘れがちです。
また、自分が活用できるはずの制度なども見逃してしまいます。
秋葉原で見かけるホームレスの人を見ると、いつ自分がああなってもおかしくないし、あの人達も十分な知識があれば何かで活躍できたかもしれない、と思うと他人事とは思えません。

無職や引きこもりがクローズアップされる時、やたらと自室でゲームやパソコンでネットをやってる姿が取り上げられますが、彼らは好きでやってるわけではないと思うんですよね。
それ以外に知識を持たないからそれをやらざるを得ないんじゃないかと。
私もしばらく見知らぬ人に会うのが怖いし緊張するし、近所の買い物ですら緊張する時期が長く続きました。
子供の頃一人で旅(自宅以外を一人で移動)をするという経験は恐らく1~2回だけです。
遠足で一人残された時にすごく不安で大泣きしてしまったこともありますが、一人で過ごすという時間が、子供時代に圧倒的に足りていないから年齢だけ大人になっても精神が大人になれないのだなと。
子供の頃は大人になった時の練習であるのだから、強制的にでも大人になった時に必要なことをすべて経験させないと後々覚えるのに苦労します。
今私も亀の速度で知識と経験と筋肉を成長させていますが、本当に大変です。
こんなしょうもない知識しか持ち合わせてないと、20代後半の時に思っていた
「さすがに、30過ぎたら何かしら仕事が見つかっているだろう」
というなんの根拠もない考えだけで行動に移せなくなってしまいます。

身近な人やSNSやテレビやラジオから離れると不安を感じる人は一人になるという経験が不足しているのかと思います。