いつまでも指導者が良し悪しを判断してはいけない

2018年3月18日日曜日

その他本 感じた事・考えたこと 徒然・駄文 勉強・学問

土曜日は一日中身体を休めるために家に居て、時々顔を出していましたが、実際に外に出ると気分が全然違いますね。
外に出て活動する感覚を忘れるというのは本当に恐ろしいことです。

明日からまた訓練の日々がもう少し続くかと思いますが、生命維持活動のために頑張りたいと思います。


図書館ではこちらの本を読んできました。


わかる→やる→変化する、と言うのはごもっともだと思いました。
自分の場合は筋トレでしたね。
内容を理解できる人なら良い本だと思います。
わざわざ新しい本を買わなくても自分に合った本を探す能力があれば図書館に現存している本で十分学習は可能です。

速読のことは分かりませんが、自分の場合必要なところしか読んでないので1時間ぐらいで2冊読み終えました。
速読の人は一字一句読んでるんでしょうか?

あと、読書とは別に図書館で気になったことがあります。

とある父母と息子(20歳前後?)がおりました。
父「今日は花粉が飛んでるんだからマスクをしないとダメじゃないか!」
と言う声が聞こえてきました。
奥さんに言っているのか、息子に言ってるのか判断つきませんでしたが、息子に言っていた場合はアカンなと思いました。

(追記)
息子さんは、特に一言も発せず、私がその場を離れるまでゆっくりとした動作で棚の本を何か探す様子で見ていました。
就労移行にいる、当初の私を含めた多くの人の動きに共通する印象です。
普通の人ならキビキビ動くのに「何を考えているんだろう?」という感じのゆっくりとした動作です。
その場にあるもので心の隙間を埋めようと思っているのかもしれません。

失敗する前に指導者が良し悪しを判断してしまっては、判断力が伸びません。
私も、長くそういう時期があったので「何故ダメなの?」という悩みから抜け出せませんでした。
「分からなかったら聞いて下さい」
というスタンスでなんでもやらせてみて”気づき” を与えないといつまでも精神が子供・指示待ち人間のままいることを強制させることになります。