何故今の環境があり、生活が出来、生きているか

2018年3月19日月曜日

感じた事・考えたこと 就労移行支援など

「レアチーズワッフル買ったから一緒に食べよう」
私が帰りに母に送ったメールです。

今日は、「仕事の9割は会話」というのが良く分かる一日でした。
暇で退屈で苦しいことも会話があればすぐ過ぎ去ります。

ここで過ごして酸いも甘いも見てきました。
社会の仕組みはもちろん、この世の仕組みもわかってきました。
センターに来て、伏せて座って帰るだけがやっとの人も時々出てしまう厳しいところです。
何故今の自分があり、生活でき、仕事ができ、その道を違和感なく歩けるのか?
とある組織に仲間入りして一定の地位が生まれてくると態度がでかくなる人がいます。
そこまで来たのは本人の努力かもしれませんが、それに至るまで関わってきた人がいるはずです。
まず初めに、家族、友達、近所の人、買い物ができるお店の人、通行人、公共交通機関、etc...
それら一つが欠けても今の自分はないし、仕事も生活もままならないですよね?
なのに、あいつが悪いこいつが悪いと文句をつけちゃう人がいるのが悲しいです。

帰りに、自転車に乗ってる人が向こうから来てフラフラと進路上に入ろうとしている人がいました。
自転車の人は認識していなかったようでイライラした様子で文句を言っていました。
自転車でも自動車でも運転者の心がけ次第でお互いが気持ちよくなるのに、あのおっちゃんは自分のせいでしばらくイライラしたもったいない時間を過ごすことになるのでしょう。

ちょっとした手間を省くと自分にしっぺ返しが来ます。
ゴミ捨て場に持っていく労力を惜しみ、道端や溢れかえったゴミ箱の脇にスタバの空き容器が置かれている光景をよく見ます。
自分の手から離れればもう関係ないという人がやっぱりいるようです。
そこが汚れたら、ヒト・モノ・カネの資源が割かれてしまい自分たちの住環境が悪くなってしまうのに。

あるお店で買物をします。
何故そのお店でお金を出しただけで完成した物を手に入れることができるのか?
地球の何処かで産まれた原料を運び、成型し、店頭まで運んで売ってくれる人がいるからですよね。
そこを忘れてしまうと、金を出したやつが一番という浅ましい考えが生まれてしまいます。

仕事をしたあと家に帰ります。
一人暮らしなら家の中のことは自分で全部やってるでしょうけど、ライフラインとか住居とかをメンテナンスしてる人がいるでしょう。
一緒に住む人がいるなら、何か作業を肩代わりしてくれているはずです。
そこを忘れてしまうと、自分が生きていられるのが自分だけ頑張ってるからだと思っちゃいます。

仕事の待遇をお金第一に考えているのもやっぱり自分に悪影響かと思います。
お金は何でも買えるこの世で最強のものかもしれません。
しかし、自分のそれまでの環境や関わってきた人を蔑ろにする考えだと思います。
「今まで私達と一緒に活動してきたのに、お金でしか見てなかったの?」
と。

これは労働者だろうと企業側だろうと生活上関わる人だろうと一緒です。
自分に関わる人や物を「今までありがとう」と大事に扱うものとして見るか、代えの利く有象無象と見るか。
それは色々な場面で分かると思います。

一人欠けたぐらいでてんやわんやする会社だったら元から仕組みがおかしいということなので、無くなったほうがよろしいかと思います。
嫌々働き、何の意味があるのか分からない仕事を続ける労働者のせいで、ブラック企業が存続してしまうんです。
ブラック労働者とも言えるんじゃないかと。

いい組織・いい会社というのは、出ていく人が
「今までお世話になりました」
と言ったら、
「君が抜けるのは残念だけど、今まで一緒に活動してくれてありがとう」
と言ってくれる所だと思います。
出ていく側が「何だったんだここは」とか、組織が「絶対に辞めさせないよ」と言ったり感じたりする組織はろくな所ではないと理解して欲しいです。
あるいは、自分の人生観が分かってない人かもしれません。

そういう変なところや人は皆さんの「選択の自由」で減らしていかないと、皆さんの生活・人生に無駄や不快なものが存続し続ける事になってしまいます。

そこが理解できていないということは、上に立つ指導者の指導力不足か、下に立つ教え子の理解力不足かと思います。

この考えに至れなかった今までの私はだいぶ精神的に子供だったなと分かります。
私もようやく大人に近づけたと思いますので、この気持ちを忘れずに自分を大切にするのを第一に、周りも大切にしようと思います。