仕事が家になった時辛いということは、家での立場が辛かったのかもしれない

2018年3月24日土曜日

感じた事・考えたこと 遊び・街歩き 料理・家事

自由って難しいですね。
仕事さえ見つかればなんとかなると思っていた自分はアホだなとだんだん分かります。
仕事が見つからないということは、外での過ごし方を知らないということなんだなと。
「仕事さえ見つかればなんとかなる」
という考えは恐ろしい思考だなと。
仕事が見つからないということは、外に何があり、それがどこにあり、どこで解決することが出来るか?が全く身に付いてないということなんだなと。
そう考えるとゲームのRPGは人生を学ぶツールだったのだなと分かります。
自分という個体含め、この世のすべてが自分の精神とは別の存在だったので、他人やゲームは全く別世界の話で自分とは関係ない遠い存在だという認識でした。

  • どこを目的地にするのも
  • お昼を食べる場所を選ぶのも
  • どこで休憩をするのも
  • 店員と会話をするのも
  • どこの道を通るのも
  • 外で母と電話をするのも
  • お土産を買って帰るのも
全部自由というのが私には理解し実行に移せるようになるまでが長く、今日もなかなか難しかったです。


今日は、上野・浅草・スカイツリーへ行きまして、1万6047歩でした。
当初、スカイツリーに行ってから上野に行く予定でしたが、行きづらい気がしたので逆にしました。
この、予定の変更も”自由”なので、今までなら「やって良いのかなぁ…」という疑念に囚われてしまいましたが今日は大丈夫でした。

これまでの私は、”室内”が居場所で、”室外”はただ移動する場所で不安で居心地が悪いという認識だったかと思います。
しかし、就労移行支援事業所で修行をした結果、子供の頃家でやっていたように、どこでも自分を出せば良いんだと気づいてからはあらゆる場所がくつろぎ空間になり、人に話しかけている間は繋がりを感じ喜びを感じます。
家のパソコンの前でしかくつろげず思考できなかった頭が、外でも使えるようになったなと感じます。

就労移行支援事業所でもそうですが、だんだん慣れてきた時の振る舞いが家での振る舞いなのかなと。
今日、電車に載っていた時も隣の人が本を読む時の癖も、おしゃべりで声が大きい人も、おそらく家でリラックスしている時の感覚に近いのかもしれません。
私も最近迷惑をかけない程度にはあらゆる場所がリラックス空間です。
逆に、家以外に慣れた時に居心地が悪く感じる人は、家でも何かしらの我慢を強いてしまっているのかもしれません。
私も就労移行支援事業所で慣れた当初は家での動きが全く分かっていなかったので辛かったですが、ある程度分かってくると段々と両方共居心地が良くなってきました。

また、今日のようにあちこち歩き回るにはやはり筋力・体力がないとダメだなと分かります。
就労移行支援事業所がヌルゲーに感じないとどこでも生きてはいけないなと。
「つまらない」と言って本気を出さないのがいかに時間と心身の浪費か分かります。
運動も、「あー疲れた」程度では負荷が不足で、「(ハァ…、ハァ…)」と息が上がり声にならないくらいまでやらないとダメなんだなと分かります。
学生時代に少し運動をしておいたおかげで気づけてよかったです。

お昼は、サバの味噌煮を食べましたがその時食べ終わっていて隣のすでに帰った客の片付けをしている店員さんがいました。
家で家事、就労移行で仕事がいかに大変か理解するようになると、店員の方を気遣える余裕が出てきます。

「こちらも片付けてもらってもいいですか?早めに片付けるだけでも違うかと思って」

と声をかけることが出来ました。
人によって意見は違うかと思いますが、店員さんも喜んでくれたように見えました。
客個人の数秒数分を重視しすぎて、働く人の気持ちを蔑ろにしてはいけないなと感じます。
客だってどこかでは労働者なのだから、誰かに優しくすればきっとどこかで返ってくるんじゃないかなと。
その嫌な気持ちになる一つ一つがブラック企業やブラック労働者を生んでしまうんじゃないかと。
情けは人の為ならずですね。

今日一日を過ごしてみて
「これが2年近く修行して勝ち取ったメンタルと身体か…」
と感慨深かったです。
普通の人はこれを自然にメモも取らず子供の頃にやってのけるのかと思うと凄いなと思います。
電車でめっちゃ泣いてる子供がいましたが、あの子達はきっと凄い大人になるぞと感じました。

午前中は清々しいですが、まだ午後・夕と暗くなってくると少し不安になります。
そこで今日経験した嬉しい気持ちを母に電話で報告したら嬉しくなり母も喜んでくれ私もその後の元気が出ました。
反抗期中は最悪の敵である家族を、最高の仲間に出来た時、人はどこでも生きていけるのかもしれません。

夜は美味しいごはんとともに買ってきたお土産のパンを一緒に食べました。
毎日美味しいご飯を食べられて話が出来る人がいるというだけで幸せです。

もし明日死んだら残念ですが、悔いはありません。
ピザ1枚食べるぐらいのお金で、物凄い大冒険をしてしまいました。

引きこもりや無職や自閉症スペクトラムの発達障害の人が私のブログ記事を見て一人でも大人の精神を身に着けてくれればと思います。














 



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(※この先、便秘や便秘改善の話でかなり具体的になりますのでお食事中やシモネタに興味のない方はブラウザを閉じて下さい)









上野から浅草へ向かっている時、便意を催してきました。
だんだん強くなりまだ身体が元気だった頃の腹痛ぐらいの痛みが襲ってきて久々にトイレ探しで地獄を味わいました。
この地獄の感覚を味わい続けていたのも、外が不安で仕方なく、一人で出歩けなかった原因の1つなのかなと感じました。

ゲーセンのトイレや浅草のエキミセに駆け込むも個室は満席。
なんとか1回目に入るも全く出ず、あちらこちらを歩き回って、もう一度座り20~30分座。
コロコロとしたいつもの便が4つ、これまでならこれで安心しきっていたかと思います。
しかし、出てすぐ行きたくなって座ると、10分で更にコロコロが4つ+15cmぐらいのが出ました。
この時点ですでに「どうしちゃったの自分の身体」と感じ、筋トレやストレッチや低FODMAPや就労移行支援事業所の修行の成果か?と思いました。
しかしまだ終わらない。
その次に座ったら、30cmx2, 20cmx2, 10cmx1 が同時に出て、細いながらも1度に1メートルも便が出るなんて経験初めてでした。

あまりの感動に写真を取り、「最高の内定祝いだ…!」と喜びしばらくハイテンションでした。
「本当に、自分の便と腸と身体か?」と疑ってしまうほどです。
上の方で書いた嬉しくて電話したというのは実はこれがメインの話です。
ウンコの話で盛り上がる母と息子。
帰宅してからも、夕食後なのにどれだけ出たか写真を見せて盛り上がりました。

「しょうもねぇ」と思いますが、こんなんで盛り上がるのがうちの家族です。