見た目上変化が感じられない、部屋・通所経路・移行支援センターが五感情報の多くを占めると不安で恐怖になる毎日ですがなんとか頑張っております。
今朝は、昨日のスムースベンデールの断食で死んでいた日の経験があるので外に出て歩けただけで楽しいです。
それでも、無変化なところが多いので歯を食いしばっていかないとたどり着きセンターの扉が解放される時間まで不安です。
また、今日は面談とサイコロフリートークの時間があったおかげで、時間はきちんと進んでいる実感を得ることが出来ました。
私みたいな特性持ちだと、”直接”教えられたことはきちんとこなしますが、他人がやっているところを見て”間接的”に見たことは自分のやって良いこととして覚えられません。
出来る人から見ればくだらない事でも、例えばハガキに切手を貼る場合こう言ってもらえるとおそらく今後やることの幅が広がります。
「ペンはここにあります、ハサミはここにあります、切手はここにあります。この、「(あなたは)今後これを使っても良い」 という許可を言葉で出してくれないと自分が使って良いものか悩んで言い出せないと思います。
”今後はこれを使って良いので” 手紙を書いて下さい。」
引きこもりになる人や家族の特徴は、
「変化を恐れていて、いつしか気づかぬうちに無変化を恐れることになる。」のかと思います。
私は、友人や家族に自分の意見を言えないという、自分の言葉によって相手がどう反応し変化するのかに怯えていた時期がとてつもなく長く、変化を恐れていた所、現在無変化に怯えている毎日です。
引きこもっている方々には、とりあえず、ちょっとでも違うことをやって欲しいです。
例えば、カーテンを締め切ってる人は外が見えなくても良いので1mmだけ開けてみるとか、窓を開けられる人は、指1本だけ外に出してみるとか。
それを毎日続けて、「今日は2mmにしてみるか」「今日は両手の人差し指出しちゃうか」とかでいいのでゆっくり出来ることを増やしてみて下さい。
引きこもっている人をお持ちの家族は、どんなに小さいことでもいいので任せてみて下さい。
例えば、「ご飯食べるから茶碗とお椀準備して」とか「ゴミ捨ててきて」とか。
やってくれたら、「手伝ってくれて助かるわ~」というと効果的です。
これは配偶者や恋人でも効果あると思います。
変化に怯えると無変化に怯えるようになるのに関連して、無変化な部分を省略するようになると思います。
「自分がやらなくても周りは動くんじゃん」と。
たまに、”部屋でゲームをしててトイレに行く時間がもったいない”という話を聞くことがありますが、トイレに行くという特に面白みもない行為を”無変化で無駄なこと”という認識になっているのかもしれません。
今私の場合、トイレに行く時間が長いと無音なことが多いので恐怖を感じます。
この感覚は、病院に入院していた時風呂に一人で入らなければならない時の感覚とそっくりです。
なので、入院当時は「風呂ではなく清拭(看護師さんがタオルで体を拭く)が良い!」と頼んでいました。
でも、風呂のほうがちゃんときれいになるからと言われて悩んでいました。
その頃から、一人でいる時の無音に恐怖を感じていたのでしょうね。
今後私が無変化に耐えきれなくなってまた引きこもっていたら周りの方々はサポートして頂けると助かります。
今のところ、一人で通うこと意外はなんとかなっていますしこうやってブログに違う内容のことを書けるのも良い”変化”になって、物の配置の変化がない部屋でもなんとか正気を保つことが出来ています。
関わってくれる自分以外の他人に感謝です。