引きこもりだって音声の会話がしたいんだ

2018年6月18日月曜日

感じた事・考えたこと 実際に仕事

今日は膝の曲げ伸ばしを伴う業務が午前いっぱいあり、かなりきつかったです。
ブッキングしている業務も合間にやればいけるかな?と考えてましたが、朝の時点で「無理だな」と判断したのでリーダーにそのちょっとした業務だけは肩代わりしてもらいました。

業務中の感覚が、今こうやって家でブログを書いている環境と同化してきて、周りで会話しててもやっぱり自分が参加することが一番楽しいようです。
参加したい話題がありましたが、迷ってるうちにどんどん変わってしまいまして、運良く別の話題で一言だけですが参加することが出来ました。
たった数秒自分の意見を言えただけで楽しい気持ちになりました。

帰りの電車で周りを見ると、ツイッターやLINE、音声垂れ流しながらYoutube見る子供もいました。
他人の考えが見えたり聞こえたり、テキストでコミュニケーションしてると、繋がってるように感じてしまいますが私にとってはそれは錯覚でまがい物だったなと。
自分にとっては自分の意見を声で伝える会話以上に楽しい物はないようです。
ただ、イエスマンで「そうだね、そうだね」言ってるだけでも全く面白くないでしょう。

今日もうちの母と色々もめましたが、私の無職でいた時に感じていた「自分の意見を否定されると苦しくなる」を今は母が感じているようで相当苦しんでいる様子です。
そこで、下手に慰めの言葉をかけるのでもなく、ちゃんと私の中で筋の通った意見をちゃんと言うようにしています。
1日2日ですぐ変わったように見える行動は理解してないでやっている行動だと私は思っているので、自分のものとして会得するにはまだまだ時間がかかるでしょう。
けど、私は自分の意見で譲れないところは全く譲る気はないので、今後もその気持ちだけは忘れずにいきたいと思います。

家族でも知り合いでも、初対面から相手のことを理解しようとしないで付き合ってると後々どんどん苦しくなると思います。
辛さを全く感じない仕事は(今の世の中では)仕事ではないと思います。
また、楽しさを感じないのも仕事ではないかと思います。
仕事でも遊びでも大変なことと楽しいことのバランスではないかと。
ある程度やってみて、一度も楽しさを感じないのならやめて別のをやるように出来るのが一番ですね。