「人工知能」を「人間」に置き換えて読んでも特に不自然ではない

2018年7月23日月曜日

その他本 感じた事・考えたこと 実際に仕事 図書館

自分の考えが言える雑談が多くて楽しかったです。
昼食も注文できるらしく、機会があったらしてみようと思います。

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今日は、図書館で借りた本を持っていって合間に読みました。
まだ、50ページぐらいですが、文中の「人工知能」という単語を「人間」に置き換えても何ら違和感なく感じます。

羽生さんの方の54ページ、コップの学習の仕方ですがまるっきり人間の学習の仕方に感じます。
大量に見た「コップ」という物の中から特徴を見出す、「これはコップ?」と周りにいる別の人間に聞いて自分の中の認識を固めていく作業、まさに人間の学習だなと。

話はちょっと変わりますけど、私は未だにコップとカップが瞬時に判別付きません。
毎回、
「これは取っ手が付いてるからカップ、これは付いてないからコップ」
と唱えています。
この定義も母親から教わったことなので合ってるかどうかは定かではありません。
人間でも人工知能でも、最初に教わったことは「正しい」と認識しないと学習できませんから難しいです。

また、「取っ手」の定義はまったく分かりません。
「持ち手が付いてれば取っ手だ」、と言う方もいるかもしれませんが、では
「コップから何cm飛び出てたらカップになるのか?」
というのは人それぞれでしょう。
個人的には3cmぐらいが意見が真っ二つに分かれる境目ではないかと思います。

また、
「人工知能が出した答えはどう導かれたのか分からない」
とありますけど、人間でも結論出してから後付で理由を考えてる人だっていると思うんですよね。
人間の行動すべてに明確な理由があるなら上記の疑問も分からんでもないですが、
例えば、
普段右足から歩き出す人が、今日はなぜか左足から歩き出したら、「なにか明確な理由があるはずだ!」と思う人がそんなにたくさんいるでしょうか?
人間って分からないものにはとにかく理由をつけたがる生き物に感じます。

まだ途中ですが引き続き読んでいこうと思います。
人間が人工知能に取って代わられても何ら不思議でもないし恐怖でもないと思うのは私だけでしょうか?
むしろ、大多数の大人たちには幸せなのではないでしょうか?