自分が違う情報を発信すると、相手からも違う反応が返ってくる

2018年10月3日水曜日

健康・持病(間質性膀胱炎など)

今日も孤独で死ぬかと思いましたが、何とか生き残りました。
通院をするにしても、ただ、先生の話を聞くのではなく自分の考えを言えるようになると相手から違う反応が出るので楽しいです。

リアルタイムの会話って慣れてないと怖いですけど、怖い怖い言いながらやってると慣れてきます。

今日のお昼はいしがまやのステーキにしました。
油ハネが半端なく、「経営陣これ実際に食べたのかな?」というぐらいナイフやフォークに油が付きまくるのでまず拭かないとベタベタでした。
味はそこまで悪くないですが、スーパーの惣菜ハンバーグのほうが好みです。
ただ、通された席が4人がけの楕円テーブルだったのでちょっと特別感ありました。



あと、ゲーセンでなにかしようかと思ってましたが、ACの筐体をじっくり見てみると意外と進化していました。
一つの筐体には一つのゲームが基本と思ってましたが、最近のは一つに数十本入ってるようで、3つ4つ切り替えられる筐体で驚いていた時代はもう古いのかと、おっさんを自覚します。
専用ICカードが有れば1日1回無料プレイなんてのもありますし、ゲームセンターも進化していました。
操作やルールが複雑過ぎて私にはプレイすらおぼつかないのばかりかもしれません。
かつてやっていたとしても、こだわりがなく離れてしまうと新しい情報も全然入ってこないんですね。

病院では患者さんが用意した「ノート」が前からあるのですが、去年の10月から私しか書いてないので、ちょっと寂しいです。
神奈川県の古淵のやまだ泌尿器科クリニックにいらしてる方は「間質おしゃべりノート」を見て出来たら書き込んでくれると嬉しいです。
書き込むまで私も時間かかりましたけど、いくらかの力を頂いたかと思います。
こうノートを見たり、待合室の患者同士でおしゃべりがないのを見ると、病院に掛かる人はおしゃべりが苦手なのではないかと感じてしまいます。
小児病棟以外で雑談が発生した経験は15年前に相模原で入院したときの1度ぐらいしか記憶にありません。
会話に自信がつくといつでも話がしたくなるので、休みが辛くて辛くて大変です。
自分の家以外で慣れてきたときどう感じるか?を学ぶのが非常に大事だなと感じます。
その感覚が親がいなくなったとき一人で行動するときの精神ということっぽいです。

トイレの方は検尿や長時間拘束される前に事前に行ってしまうことが多かったですが、最近検尿はしないようになって、自分の意志とは無関係のトイレの時間をなるべく減らすようにすると思ったより我慢できる時間が伸びます。
今日も13:00ぐらいに少し行きたくなりましたが、行かないでみたら16:00過ぎぐらいまで持ちました。
間質性膀胱炎もコミュ障も発達障害も、あまり気にしすぎてはいけないですね。
あまり気にするなと言ってもそれが難しいんですけども…

先生との話ですけど8割ぐらいはほぼ変わりませんが、こちらが新しい話題や返しをすると先生からも新しい話題が返ってくるので楽しいです。
違う会話をすることが慣れてない人とコミュニケーションをとるのはすごく緊張しますけど、最近は仕事のおかげでコミュニケーションレベルが向上しているのでありがたいです。

また、先日友人と1泊2日の旅行に行ったのも、家だけで感じる孤独かと思いこんでたのは、どこでも感じる感覚らしいと分かったので収穫でした。
アドバイスをくれたお兄さんと、旅行についてきてくれた友人には感謝です。
その時は意味があるのか分からない経験でも後々意味を成すんだなと、そういうのが最近目白押しです。
今後も苦しくても休日のやることを色々続けたいと思います。

今週末は上野で梅酒祭りとかっぱ橋で道具まつりがあるらしいので行こうと思います。
でも雨なんだよなぁ…