自分のために生きていたら、早々早死にしてただろう

2018年11月17日土曜日

遊び・街歩き

”ダラダラ遊んでないだろうか?脇目も振らず熱中して遊んでいるだろうか?悩みながら遊んでないだろうか?”

1週間ぶりの休みでして、いつもと違うゲームセンターへ行ってきました。
同じゲームしかやってないと「どこでも同じだろう」とか思っちゃいますけど、新しいゲームも見つけられます。
先日、足を動かすダンスゲームに驚いていましたが、 全身を使って踊るゲームもありました。

チュウニズムの方はだいぶ頭打ちになって来ました。
ここで、レベルアップが出来る人は最適化作業に入るのでしょう。
けど、自分の場合は手の位置ならともかく指の位置まで正確に抑えるのが難しいです。
Expertでさえタッチパネルから外れたところを叩くとかよくあります。
まあ、ほぼSは取れてきたから良いかなとも感じてきます。
落ち着いて座って、他人のプレイを見ていると「最初はそうなるよね」という初々しいプレイが見れてほっこりしました。

どんなことでもそこそこのところまでは行くんですけど、群を抜いて「得意」と言えるところまで引き上げられるものがあんまりないのが困りものです。

まあ、何か自分にとって新しいことは刺激になりますし、少しでも本気を出した時期があったなら脳筋か筋肉にはなってるはずですから無駄じゃないです。
私もだいぶ腕の筋肉が付いてきたのか疲れ具合が変わってきました。

昼過ぎぐらいにだいぶ一人の休日に飽きてきて、
「自分ひとりのために生きていたらきっと今日まで生きてこれなかっただろう」
と感じました。
誰かの要望を叶える事で生きていくしか自分には出来そうにないのでよろしくおねがいします。

遊びも仕事も大した違いはないですが、どちらも惰性でダラダラやってないだろうか?と自問しないといけませんね。
「昔は熱中してたからきっと今も好きなはずだ」
と思い込んでしまうと身にならないですから。
とりあえず、離れて再燃したらまたやれば良いわけです。

帰りに地元に寄ったら、ウェルビーの人に会い話をしました。
知ってる人と話すことは大したことではなくても楽しい気分になりますね。
この感覚を知ったら地元で良かったなと思います。