自分が伸びると思うものだけをやれる世の中だったら

2019年6月5日水曜日

実際に仕事 徒然・駄文

新しい作業を覚えることになると頭使いますね。
ただ、簡単すぎると延々と足し算をやるような苦行に感じるので、できるだけ脳内に負荷がかかる続ける状態で居たいものです。

親会社の人に質問する機会も出てきて、家で一人過ごす気分転換に仕事で脳トレという感じです。
また、今日は些細な失敗をしてしまいましたが笑い話になりました。

今覚えてる作業では失敗はあまり許されないものなので、次回まで間が空きますがミスの無いようにしたいと思います。

朝起きて最寄り駅まで到着するのが一番つらい仕事ですが、駅での仮眠で体力を回復させるために明日もがんばります。

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気になった記事

『やってあげてる精神だと必ず見返りを求めてしまう』あるご夫婦の洗濯物を巡る体験談に目から鱗「余計なお世話やーめた!」 - Togetter

定年間近の父が定年後の趣味を持とうとしているが

うつ病の父が憎い

36で職歴なしの男なんだがあんたらに一言いいか?

”「ゲーム」という趣味はそもそも実態として存在しない。遊びたいソフトを遊ぶという行為の集合体でしかない”

上から2つ目の記事の文ですが目に留まりました。
 テレビゲームしかやってない間は、ゲームと言うと映像ありのゲームというイメージでしたが、ボードゲームやそれ以外の楽しいことを知ると楽しめれば何でもゲーム・遊びではないかと今なら思えます。 
楽しいか楽しくないかですけど、そうなると仕事も遊びになる可能性を秘めているなとも思えます。
逆に、今まで面白いと思いこんでいたテレビゲームが逆につまらなくもなってきます。

人間生きてるだけですごいことだなと感じつつも、更にその上、絶対的にやりたいことがある人って自分じゃ考えられません。
ちょっと興味があるなというのはあっても、永遠とやり続けたいものは今のところほぼありません。
あるとすれば、誰かとの会話は毎日やりたいです。
やらないと、自我が消滅してボケてしまうので。

家に帰ると母がテレビを見ていますが、テレビに映る人って自分とは無関係な人ばかりなので、そんな人達が何をやろうともほぼ無関心で、無理して感想を言っているシーンとか演出で喜怒哀楽をやってそうなのが透けて見えてしまうとあまり気持ちよくないです。
職場のよく知ることになった人たちなら感情表現も素の情報として受け入れられます。
自分にとってのリアルの場であまりにも生の感情を取り入れすぎて、メディアというフィルターに浸かりすぎた時間が長すぎました。
映像ニュースは動画サイト、ニュース記事は興味のある人がSNS、そう言うので発信すれば、やりたい人がやり裏を取る人も出てくるのではないかと。
片方向の情報だと、自分の気持が消化できずに終わるのがモヤモヤします。
インターネットの登場・SNSの登場で、リアルとバーチャル・仕事とプライベートの区別が良くも悪くも曖昧になってきています。
私はどの時間帯でも楽しく過ごせる世の中になればいいなと思います。

収入を得られるいわゆる仕事もやりたい人がやり、やっていてプラスだと思う人だけがやれば良いものであって、義務化されて無理やりやるもんじゃないと思います。
私は、筋トレにもなるし、雑談も出来るし、ついでにお金も入ってくるし、家にいるよりはメリットしか無いのでしばらくは仕事を続けるでしょう。

やりたい仕事をやる人が増え、他の人もやりたくなる仕事を存続させ、
やりたくない仕事をやる人が減り、他の人もやりたくない仕事を消滅させる。
そういう動きになればいいのにと思っています。