今日は、就労支援に面談に行ってきました。
脳内ではほぼ9割以上内容を忘れていますが、書いたノートのイメージを思い出すことで少し思い出せます。
これで書いてなかったら完全に時間の無駄となっていたことでしょう。
就職に至るまでは、数人の友人としか会っていなかったため、そのときは相手と何を話したか忘れないように必死になって覚えている状態でした。
また、話し相手ひとりひとりに違う自分が存在している感じでしょうか。
一応の職についた今では、
「自分の頭では基本的に、相手と何を話したいかではなく相手が話したことに対する一般的な意見を返すことしか出来ないのだ」
ということが分かってきました。
相手と付き合いが長ければ長いほど特に自分から話したいことがなくなっていく感じです。
この辺が、「誰かの欲がないと」と感じる一番の原因でしょう。
「『会話』というのは誰かから振られなければ声を出してはならない」
という感覚を小中学生あたりで身に付けてしまったため相当苦労しましたし、今も苦労しています。
そのため、今でも主体は自分ではなく話相手か話に上っている第三者です。
「君はどう思っているの?」
と聞かれると、「あ、自分の意見って言っていいんだ」という感じです。
特に問題なさそうだと「特に無いです」としか言いようがないんですけども。
今日こんなツイートを見かけました。
そういえば結婚したばかりの頃、つれあいに「気持ちを話してほしい。何を考えているのか分からない」とよく苛立たれたのだが、わたしにとっては「気持ちを語る」という行為がいかなるものなのかが理解できなかった。気持ちを語っているつもりが、彼女には一般論あるいは正論としか聞こえなかったのだ。
— 沼田和也(王子北教会牧師)noteは https://note.mu/numatakazuya (@numatakazuya) January 8, 2021
計3つ、つぶやかれてますが、 なんとなく他人とは思えない意見でした。
私も自分の意見はあっても喜怒哀楽のような感情が乗ってこない、そんな感覚です。
あっても秒で消え去ります。
治せるのかよく分かりませんけど、それなりに興味がある場所で他の人と会話をすることでしか伸びないと気づきましたので、ゆっくり頑張ろうと思います。
自分の感情に基づいて声や文字にすることができる方は、それだけで私の何歩も先を行ってることでしょう。